本町は、神武天皇の皇孫である健磐龍命(たけいわたつのみこと)が九州鎮護のために下向し、代々その子孫である阿蘇家一族の治下にありました。
天正年間(1570年代)に入ると国内では兵乱が相次ぎ、強大を誇った阿蘇氏も薩摩の島津氏により攻略され、豊臣秀吉の天下統一後はその家臣である佐々成政、加藤清正の領地となりました。
徳川時代は細川家の所領となり、その統治は明治初年にまで及びました。この細川藩政では各郡に郡代(郡奉行)が置かれ、本町は南郷郡代の管下となっています。郡は数区の手永に分割されており、本町管内は高森手永と野尻手永の支配下にありました。
明治22年、市町村制の施行により、1町13村の行政区画が統合されて、高森町、色見村、草部村、野尻村の1町3村になりました。
昭和28年、町村合併促進法が制定され、昭和30年4月、高森町、色見村、草部村が合併。続いて、昭和32年8月に野尻村が編入合併し、現在の高森町が誕生しました。
本町は熊本県の最東端にあり、東部は宮崎県西臼杵郡、東北部は大分県直入郡と竹田市に隣接しています。